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武侯祠は三国時代の諸葛亮やその主君劉備などを祀る祠堂。 諸葛亮を祀った「武侯祠」と呼ばれる祠堂は中国各地にあるが、その中でもこの成都のものが特に有名である。

表示には一人60元とあったが、なぜか30元で入場。

武侯祠武侯祠


南門から入って、左には明碑、右には唐碑、奥に進むと、左に武将廊、右に文臣廊

ガラスケースの中に三国志の武将たちが人形となって鎮座している。

それぞれの人物の物語の中での活躍ぶりは息子が教えてくれたが、もともと三国志をきちんと読んだことがないので、「へえー、そんなんや」 という感じである。

武侯祠武侯祠


ただ、とにかくみんなひげがすごい。ここまで伸ばすにはかなりの年数がかかるだろう。

そんなことを考えながら進んでいると、ついに登場。

諸葛亮孔明~

映画 「レッドクリフ」 では金城武が演じ、日本でも大人気の軍師である。

この人については中国でも特別扱いで、これまでの武将たちはガラスケースの中に何体か一緒に入っていたが、この人だけは個室が与えられており、しかも両側に二人いた。

武侯祠


これまでの人たちがエコノミーだとすると、

ファーストクラスの扱いであった。


裏手の出口から出ると錦里という商店街が続いている。

全長約350m、幅4mほどの沿道に並んだ建物はすべて明、清時代の建築を再現したもので、四川料理の食堂や、土産物屋、小さな劇場など観光客が喜びそうな店がずらっと並ぶ。

錦里錦里


伊勢のおかげ横丁みたいなところである。

九品街という通りがあって、小吃の露店が並んでいる。ここで一番の人気はパイナップルの器にお粥のようなものが入ったもので、歩いている人のほとんどが食べていた。

成都ではパイナップルの時代が訪れているようであった。

このパイナップルも気になったが、とにかく人が多く、押すな押すなの大混雑で、できればさっさと通り抜けたい気分であった。







錦里の人ごみを抜けて、次の目的地 杜甫草堂に向かう。

移動手段は成都景区直通車という観光地間を結ぶバス。

一人6元で循環ルートが乗り放題になる。

主な観光地をダイレクトに結んでるから、私たちのように1日でさくっと見どころを回りたい人にはぴったりである。

成都景区直通車成都景区直通車


武侯祠から杜甫草堂まで約15分で到着。

入口でチケットを買おうとすると、“学割” という文字が目に入った。

息子は高校生、一応生徒手帳も持ってきていたので、ダメもとで見せてみると、しばらく見た後、半額にしてくれた。

中国でも日本の生徒手帳は使えるみたいだ。

杜甫草堂杜甫草堂


杜甫草堂は中国盛唐の詩人・杜甫の博物館である。

杜甫といえば 「絶句」 が有名だが、この詩が詠まれたのが成都である。

「江は碧にして鳥はいよいよ白く 山は青くして花は燃えんと欲す」

対句の中に色彩が散りばめられ、南国の明るい風景が描かれる前半から、「今春看すまた過ぐ 何れの日か是れ帰年ならん」 と続く。

故郷 長安の戦乱を避けて家族とともに成都に逃れているとき、故郷を思って歌った詩である。

「いつになったら帰れるのだろうか」 と綴る杜甫の思いは、故郷に帰れない寂しさとともに故郷が戦乱によって荒廃していくことを嘆く。

杜甫は社会の矛盾を憂い、常に弱者の立場で詩を作りつづけたのである。

杜甫草堂杜甫草堂


園内には、杜甫が住んでいた茅葺の庵が復元されており、各部屋には再現された机やベッドが置かれていた。

ここで杜甫が詩作していたと思うと感慨深いものがある。


資料館には杜甫の一生がパネルや彫像で紹介されていた。

よく酒を飲んだとされる杜甫が酔っ払って 「ぱあ~」 と手を広げている像があった。

杜甫草堂杜甫草堂


解説のプレートがすべて中国語なので実際はよくわからないが、杜甫の人並みを垣間見ることができてやはり感慨深かったのである。

こうして、息子が武侯祠を楽しんだように、私は杜甫草堂を堪能したのであった。


「ぱあ~」








杜甫草堂を見学した後、次は金沙遺址博物館へ行こうと思う。

成都景区直通車のパンフレットでは、降りたバス停から乗れば普通に行けそうである。

チケット売り場のお姉さんに聞くと 「対面(といめん)」 との答えが返ってきた。こんなとき、若かれしときに勉強した中国語が役に立つ。

入口の前の大通りを渡って、待っているとほどなくしてバスがやってきた。

十人ほど降りた後、乗り込もうとするとバスの運転手から 「ここちゃう!(たぶん) と怒鳴られた。

そういえば 「ここじゃない」 という中国語に覚えはない。

私が知っている中国語は 「イー・リャン・サン・スー」「ハク・ハツ・チュン」 であった。

仕方がないので、元に戻って入口の前で待った。やがて来たバスに乗ったが、金沙遺址博物館とは逆方向に走っている。どう考えても来た道を戻っているとしか思えない。

しかし、私の中では一つの考えがあった。

それは、この成都景区直通バスはループ状に走っているのだから、元に戻ったとしても反対回りで金沙遺址博物館にたどりつけるはずだ。

と思ったら、残念なことに武侯祠に着いた後、全員降ろされた。

振り出しに戻る。

今度こそと思い、金沙遺址博物館に行くバスを入念に確かめて、最初からスタートした。

30分以上かかる道のりだが、車窓からの成都の街並みを見ながら、うとうとしているといつのまにか金沙遺址博物館に到着した。

金沙遺址博物館金沙遺址博物館


>BC1200~500年の古蜀文明と推定される金沙遺跡を整備。大型祭祀場跡をドームで覆った遺跡館、出土品の陳列館が立つ。純金で作られた金面具をはじめ、金器、青銅器、玉器など豊富な出土品を見ることができる。

はじめに住宅開発の際に偶然発見されたという遺跡を見学。体育館のように屋根で覆われ、発掘当時の様子がそのままの状態で残されている。ちなみにまだ発掘は継続中らしい。

その後、出土品を展示した陳列館に進む。これがなかなか広く、見ごたえがあった。

展示室は時代ごとに5つに分かれていて、その中で一番 見ごたえがあるのが、4番目の部屋。

純金製のマスクや青銅製の人型など、「これだけは見とけ」 的なものが並んでいる。

金沙遺址博物館金沙遺址博物館


これらの文物はだいたい紀元前1500年から紀元前500年ぐらいのものとされるが、さすが中国4000年の歴史というか、考古学にそんなに深い見識がない私たちでも見るだけで十分に楽しむことができてので、見に来てよかった。

ただ、かなり広く、展示物も数多いので、武侯祠、杜甫草堂と見た後だった私たちはちょっと疲れた。

そして、また成都景区直通車 (どうも最終だったようである) で武侯祠へ、そこから地下鉄に乗って春熙路に戻ったのである。







成都にはレーンに具材が回る回転火鍋店があるらしい。

ホテルから歩ける距離にその店があるらしいので行ってみたのだが、

・・・見つからない。

地図を見ながら、この辺りにあるだろうと思われる場所を探してみたがどこにもない。いろんな人に聞いてみたが、誰もそんな店知らないという。

仕方がないので、回転火鍋はあきらめて、普通の火鍋店を探すことにしたが、辺りを見回すと、あちこちに看板が見える。

そのうちの一軒、最初に行った店は50人ぐらい並んでいた。

成都では火鍋ブームが起きているようであった。

さすがにこれは無理と、また別の店を探すと、これまた すぐに見つかった。

蜀錦味火鍋蜀錦味火鍋


蜀錦味火鍋 (春熙路旗艦店)

春熙路の歩行路沿い、伊勢丹の向かい、階段を上がった2階にある。古代中国の戦士の格好をしたパンダが1階、2階で出迎えてくれる。

>伊勢丹の玄関の向かい側の入り口である春西路には、衣料品店が軒を連ねる鍋料理店があり、鍋屋が目立つ。 ロビーは2階にあり、テーブルと椅子は散在している。*大衆点評より。


店内では琴の生演奏が行われており、高級な雰囲気もするが、客層は若者中心。

>私はguzhengを演奏している小さな妹に魅了されている、妹は妖精の妖精、彼のピアノの音に浸した男と言うことができる、爆弾は12以上ですが、休息を取らない。 あまりにもプロフェッショナル! ちょっと!

蜀錦味火鍋蜀錦味火鍋


席に着き、メニュー見る。漢字なので、全くわからないわけではないが、細かいところはやはりわからない。

中国に来てからずっと言葉の壁にぶつかってきたが、ここでは店長が自分のスマホを持ってきて、写真付きのメニューを見せてくれた。

画面を見ながら野菜やら肉やらを注文。スープは鳳凰、あっさり鶏スープと麻辣味の2種類。

>アヒルの鍋のため、私は味が悪くないと思う、それは非常に食欲があるようだ、トマトのスープポットがあり、味は非常においしいですから、選択するスープのいくつかの種類があります。


蜀錦味火鍋


やはり、まずは辛いほう。

辛~!

これは本気で辛い。

辛くて、痺れて、熱い!!

私はCOCO壱番屋の10倍カレーやの味仙(奈良にある地獄ラーメンの店)の閻魔ラーメンもクリアした男である。

しかし、この麻辣スープはこれまでの人生で一番辛い。


・・・で、全く食べられないかと言えば、食べられなくはない。

嫁さんと息子は鶏スープで薄めながら、適度に辛さを楽しんでいたが、私は辛いスープを辛いまま食べていた。

無理をしていたのではない、後を引くのだ。

辛いけど、おいしい、痺れるけど、うまい、熱いけれど、それがいい。

>しかし、言いたいこと! この唐辛子の鍋でなければならない! ホットポットは一般的に使用されている弾丸の唐辛子に加えて、ポットの底はまた、世界で最もスパイシーな唐辛子インドの悪魔ペッパーと混在しています! わずかに参加しましたが、この辛い味のポットの底に着火しました!世界で最もホットな悪魔ペッパー!!>


蜀錦味火鍋蜀錦味火鍋
蜀錦味火鍋蜀錦味火鍋


左上:嫩牛肉
薄切りにして、いろいろと手を加えて柔らかくした牛肉。ネットで調べると、“軟化剤を使う” とか、“ビールを使う” とかあるが、この店がどうなのかはわからない。しゃぶしゃぶ風にしていただく。

右上:鮮青蝦
氷の中に頭を突っ込んだ状態で出てくる。新鮮アピールもすごいし、実際 新鮮なのだろうと思うが、海老は海老である。殻もあってスープが染みこまない。普通においしい茹で海老であった。

左下:鴨舌
日本ではあまり見かけない食材なので注文してみた。コリコリとした食感だが、小さいのであまり食べ応えはない。鴨の舌と書くが実際はアヒルの舌だそう。

右下:鮮牛蹄筋
牛のアキレス腱。少し透き通った色、くにゅっとした弾力があって、辛いスープともよく合う。

他に白菜や蓮根、キノコ類などをいただいたが、白菜などはしっかりとスープを吸ってやっぱり辛かった。


最後の方になると、唐辛子と山椒でこの世の食べものとは思えないようになった濃い茶色になってくる。

それでも何とか完食。

これが四川のシビカラと身をもって感じた夜であった。(辛さ50 シビレ50)


P.S.*大衆点評という中国最大の口コミサイトに書き込まれていたものを引用しました。







まだ暗い街にはもやがかかっていたが、これが盆地特有の霧なのか、中国特有のスモッグなのかはわからない。

楽山大仏行きのバスは新南門バスターミナルから出る。

ホテルから歩けなくはない距離だったが、タクシーを使った。

タクシーは 8元、ちなみに地下鉄なら3人で6元 (始発はまだ出ていない時間だったが)、冬の朝、15分歩くことを考えれば、最善の方法だったと思う。(1元は18円)


バスターミナルはまだ開いてなくて、入口の前には手持ちぶさたのまま、煙草を吸ったり、雑談したりしながら、待っている人たちがたむろしていた。

私たちはとりあえず、通り沿いにテーブルを出している屋台で朝食をとることにした。

新南门车站 新南門バスターミナル新南门车站 新南門バスターミナル


年季の入ったカーキ色の三輪車は荷台が調理場になっている。注文の受けると、麺を茹で、スープを注いで手際よくラーメンが作られる。

私たちは一杯10元という醬油ラーメンとワンタンを一つずつ注文した。

醬油ラーメンきりっと胡椒を効かせたミンチがトッピングされ、四川らしくない辛くないスープであった。(辛さ1・シビレ0)

ワンタンは中国では抄手と書き、紅油抄手といえば成都の名物になる。ただ、ここでいただいたワンタンはやはり辛いものではなく、鶏スープのもので、朝の胃に すっと入っていくようなやさしい味であった。(辛さ0・シビレ0)


6時半ちょうどに入口が開き、バスターミナル内に入る。

私たちが乗る楽山行きのバスは、バスというにはあまりに小さいワゴン車で、駐車場の一番端に停まっていた。


6時45分にはバスに乗って、あとは出発を待つだけになったのだが・・・、

新南门车站 新南門バスターミナル新南门车站 新南門バスターミナル


昨日の火鍋が効いているのか、お腹が痛くなってきた。

さっきまでは全然大丈夫だったのに、車内が寒いからだろうか。

バスは7時に出るはずだが、出発予定時刻を過ぎてもなかなか動かない。

窓から外をうかがうと、運転手があっちにいったりこっちに来たり、時には電話したりして、うろうろとしている、どうも遅れている客がいるらしい。

こんなことなら最後にもう一回トイレに行っておけばよかった。

結局、何も悪びれることなく遅れた客がやってきて、バスは7時15分に出発したのだった。


ここから2時間、腹痛との戦いが始まる。

走り出すと暖房が効いてきたので、幾分ましにはなってきたが、それでもじんわりと痛い。

窓の外には都会のビル郡、工場地帯、田園風景と景色が流れていき、着々と成都を離れていくのが見える。

楽山大仏行きのバス楽山大仏行きのバス


一番前の座席だったので、運転席の様子がよく見えるが、だいたい100㌔ぐらいのスピードで走っている。

中国の車はスピードを出しすぎるとお姉さんの声で注意されるみたいだ。高速を走っている間、運転手はずっとお姉さんに怒られ続けていた。

でも、腹の痛い私は、「いいぞ、その調子でがんばれ」 と心の中で応援しながら、下半身のある一点に神経を集中しつつ、高速道路のあと何㌔という表示から到着時間を計算し、この苦しい状況に耐え、がんばったのである。


そして、出発からちょうど2時間後、私たちを乗せたバス (ワゴン車) は楽山大仏近くのバス停に到着したのであった。

私はこの戦いに勝利したのである。